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2007年11月 8日 (木)

天璋院 篤姫

Midasi

11月6日
鹿児島総合卸商業団地協同組合の
組合創立40周年記念特別講演会

維新ふるさと館 館長 福田賢治先生を
講師にお招きして開催された。

講演会は大好評で395名の
参加者があったそうです。

演題は、
来年のNHK大河ドラマで放映予定されている

薩摩が生んだ幕末の才女、天璋院篤姫

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薩摩の歴史は全国的に有名で、
県外に行った時によく質問されるそうだが、
私をはじめ鹿児島県人は、動乱の幕末から
明治維新について知ってる人が少ないそうである。

幕末から明治維新にかけてタイムスリップ~!

今回勉強してきましたよ~(^_^)v

まず先生が薩摩の国の特色について
話されました。

特色として

(1)島津氏が鎌倉時代より700年間、
   薩摩の国を支配してきた。
     全国でこんなに長く支配している国は珍しい。

(2)武士の数が多かった。
    人口の26%(4人に1人)が武士で、税収が
    少なくなるため、郷士として武士でありながら
     平時は農民として農耕にも従事させた。
   武士が多かったこともあり、明治維新をなしえた
    のも頷けるとのこと。

(3)昔から徳川家の御三卿である一橋家と
     婚姻関係を結び、島津家からも徳川家へ
     正室として迎えられた。

   11代将軍「家斉」の正室・・・島津茂姫
   13代将軍「家定」の正室・・・島津篤姫
      8代将軍「吉宗」の娘「竹姫」・・養女として島津家へ
     11代将軍「家斉」の兄弟の子「英姫」・・斉彬の正室

(4)島津家と近衛家とは昔から親密であり、
     天皇を動かすために太いパイプを結んで
     いたこともあり、幕末に活躍できた。

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13代将軍「家定」の御台所・篤姫

篤姫は、1835年12月19日
今和泉家五代当主・忠剛(ただたけ)の
第四子として現在の鹿児島市に生まれ
幼少の頃は一子(かつこ)という名でした。

徳川家にも将軍家の血統が絶えた時に跡を
継ぐため徳川御三家がつくられたように
島津家にも「一門家」がもうけられていた。

もともと第四代当主島津忠宗の次男「忠氏」によって
北薩の出水に和泉家として始まったが、

島津二十二代当主「継豊」の時代に弟の
「忠郷」をもって今和泉と号し「一門家」に
加えました。

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第十三代将軍徳川家定は、
二人の妻を公家から迎えたが、身体が弱く
急死したことや、定家自身も病気がちだったことから

定家の母親・お美津の方が
将軍を支えられる、しっかりした丈夫な夫人を求め
島津斉彬に薩摩の国から候補を求めた。

一子は名を篤姫と改め、島津家第二十八代当主
島津斉彬の実子として幕府に届け、

近衛忠煕(このえ ただひろ)の養女となり
1856年12月18日に家定と結婚した。

しかし、一年後に家定が35歳で亡くなったが
いったん嫁にきたからにはと、鹿児島に帰ることなく

天璋院と号し、その後前将軍の妻として
大奥を仕切りました。

幕末の混乱期には、実家の島津家は
将軍の敵になりましたが
新政府に、徳川本家の存続を働きかけるなど
徳川の為に尽くしました。

最後の十五代将軍徳川慶喜は、
朝廷からの追討令を受け、
江戸無血開城することになったが、

これは篤姫の陰の立役者としての
活躍があったという。

新政府になって徳川家の存続は認められ、
慶喜も明治に入り朝廷から謹慎が解かれると
趣味に生き、公爵として大正時代まで
天寿を全うした。

篤姫は明治16年、49歳で亡くなりましたが
現在でも徳川家に大切にされているそうです。

寛永寺に将軍家定と篤姫が並んで葬られて
いますが、将軍と御台所が並んで葬られているのは
例がなく珍しいそうです。

徳川家の血統が絶えて跡継ぎがなくならないために
徳川御三家がありますが、

跡継ぎ問題として側室制度についても語られました。

★徳川家は十五代続き
    正室は公家・皇族から迎えられたが、
   正室から生まれたのは、三代将軍
    家光一人だけだった。

★皇族は現在まで125代続いているが
    正室から生まれたのは10人位。

★島津家は、
    正室から生まれたのは、
    二十八代当主島津斉彬一人だけ。
    斉彬は六人の男子をもうけたが、幼少の頃
    亡くなり、跡継ぎ二十九代当主は
    斉彬の兄弟・久光の子「忠義」が当主となった。

福田賢治先生の語りはユーモアを
交えながら分かりやすかったので
とっても勉強になりました。(●^o^●)

私も話を聞きながらメモを必死にとりましたよ。
      ( ..)φメモメモ

最初は2時間は長いかなぁ~!と、思っていたのも
つかの間、時間がアッ!という間に過ぎました。

福田先生に、もっともっと鹿児島の歴史を
教わりたい気持ちが湧いてきました。(^_^)v

次の機会を楽しみにしています。有難うございました。

この講演のおかげで、来年のNHK大河ドラマを
見るのが、今から楽しみになってきました。(^_-)-☆

この「篤姫」のドラマを見て、全国の方が
鹿児島に観光に来てくださったらいいですね。m(__)m

「篤姫ゆかりの地 指宿」

今和泉島津家墓地や
今和泉の郷社である豊玉
媛神社等
指宿市のあちらこちらに
江戸時代を偲ばせる場所があるということです。

福田先生に頂いた資料をコピーしましたので
是非訪れてくださいね。(●^o^●)

Hyousi

Ohaka

Zinnzya

Mati

Tizu

私も指宿の「篤姫ゆかりの地」に出かけたら
またブログにしたいと思っています。(^o^)丿

2008年1月7日・追伸

篤姫ゆかりの地に昨年の11月24日に
行って来ましたよ。(^o^)丿
まだまだ知らなかった事をボランティアの方に
いっぱい教わり楽しい散策でした。(●^o^●)

11月28日に
「篤姫ゆかりの地・指宿・今和泉を歩く」のタイトルで
記事にしましたので併せて見てくださいね。
よろしくお願いします。m(__)m

20年1月14日に
「篤姫館」のタイトルで記事にしましたので
見てくださいね。(●^o^●)

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