2008年1月14日 (月)

篤姫館

~ようこそ2008大河ドラマの世界へ~

篤姫館  左の「篤姫館」をクリックすると篤姫物語スタートです。
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鹿児島市の桜島を望むウオーターフロントに
位置する「ドルフインポート」に

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20年1月6日~21年1月12日まで
開催されている。

ドルフィンポートからの風景
   クリックして見てくださいね。

開館時間 9:00~18:00(年中無休)
入館料・・・大人(500円・小人250円)

お問い合わせ
「篤姫館」実行委員会事務局
TEL・・・099(216)2722

大河ドラマで使用した衣装や小道具が
展示されて
いるということで早速出かけた

館内に入るとすぐに

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御鈴廊下(オスズロウカ)の再現エントランス

江戸城本丸御殿は大きく
3つに分けられている。

「表」・・・・・幕府の政庁を行う

「中奥」・・・将軍が執務を行い普段の
       生活空間

「大奥」・・・将軍の御台所・側室・
       御殿女中達等がいる

大奥だけは別の建物と分離しており
周囲は銅塀(アカベイ)によって
仕切られていたそうです。

この大奥の風景は、入口にあったのを
撮影しました。

Oooku

館内は撮影禁止で写真がないので
掲載されていた文章をメモして
記事にしました。ヽ(^o^)丿

この「中奥」と「大奥」をつなぐ唯一の通路が
「御鈴廊下」です。

現在、残されている資料によりますと
御鈴廊下は
巾、一間半(約2m70センチ)

長さは十間半(約20m)あったと
考えられているそうです。

将軍が大奥に入る際に鈴の紐を引いて
鈴を鳴らせて合図を送り
出入口である「御錠口(オンジョウグチ」を
開錠させたことから
この名がついたということです。

御鈴廊下の襖は見事な絵が描かれていて
素晴らしく、見ごたえのある再現の
御鈴廊下でした。(*^^)v

「薩摩から江戸へ」幕末シンデレラストリー

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ここは徳川家・近衛家・島津家・
今和泉島津家の家系図や
篤姫にかかわる周りの人々との関係、
大河ドラマの出演者による撮影の様子や
コメントが映像で流れています。

中でも私が注目したのは
今和泉島津家で於一(おかつ・・篤姫)の
養育係りを務めた菊本の言葉に
感銘しました。
おもわずメモしましたよ。(^_^)v

篤姫を育てた薩摩の風土

今和泉島津家で於一の養育係を
務める菊本はドラマの中で斉彬の
養女になることに、ためらいをおぼえる
於一に向かいこういいます。

「女の道は一本道。さだめに背き、
 引き返すことは恥でございます。」

幼きは父に従い、嫁いては夫に従い、
老いては子に従えという
封建時代の女性たち。

その抑圧された道徳観の中で誇りを
失わず、節を曲げず、自分の信念に従って
幕末の動乱から大奥と徳川宗家を守り
抜いた篤姫の強靭な精神のルーツは

故郷さつまの風土や習俗の中に
様々な形で息づいています。

と、書かれていました。
私も「さつまおごじょ」!!
私の心の奥底にはこんな「さつまの女」の
気持ちが残っているのかな?
昔の人は偉いの一言です。

天璋院と勝海舟

晩年、勝海舟は天璋院を夜遊びに
誘ったそうです。
芝居見物・屋形船・芸者遊び・・・など!

海舟としては徳川家に一身をささげ
女の身の幸せに無縁だった天璋院を
ねぎらう気持ちだったのではと
書かれていました。

これを見て私もなぜかほっとした
気持ちを覚えました。
少しの間でも天璋院さまは幸せな気分を
味わえたのではないかと・・・・!

大奥での篤姫の部屋の再現

ここで大河ドラマで使用した衣装の
試着の体験ができ私も篤姫に
なったつもりで、
はいパチリ (^_-)-☆

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どうですか姫に見えるかな?
(笑い。ははは・・・)

篤姫ハイビジョンシアターでは
江戸城をCGで再現。

私も実際に江戸城の廊下を歩き各部屋の
様子を目の前に見る錯覚を覚えましたよ。
よく出来ていました。(^_^)v

美しいハイビジョンで
大河ドラマで大奥の女性たちが身につけた
絢爛豪華な衣装の数々が見られて
うっとりため息ばかり。

徳川幕府の終焉にあたり
天璋院から西郷隆盛への手紙もありました。

自分の身はどうなってもいいから
徳川家が無事に相続がかなうようお取り扱い
くださいますようお願い申し上げます。
というような嘆願書の文面でした。

あっという間に時間が過ぎ、
1時間半も見学しましたよ。(●^o^●)

20年1月12日から一年間
指宿の「ふれあいプラザなのはな館」でも
「篤姫館」が開催されています。

Atuhme2
私も指宿に行ったときに立ち寄って
みようかな。ヽ(^o^)丿

追伸

19年11月8日に
「天璋院 篤姫」のタイトルで記事に
しました。見てくださいね。m(__)m

19年11月28日に
「篤姫ゆかりの地・指宿・今和泉を歩く」
タイトルで記事にしました。
併せて見てくださいね(●^o^●)

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2007年11月28日 (水)

篤姫ゆかりの地・指宿・今和泉を歩く

Midasi

11月8日 
「天璋院 篤姫」の記事をブログに掲載しましたが、

篤姫ゆかりの地・指宿・今和泉を
早く訪れたくて出かけることにしました。

19年6月21日(木)の南日本新聞に
「篤姫ゆかりの地・指宿・今和泉を歩く」という
タイトルで、

徳川家のために尽くした才女・篤姫の生涯や
篤姫ゆかりの地である今和泉地区の見所を
紹介する記事が掲載された。

この新聞が発行された6月は、
篤姫についての知識はぜんぜんなかったが、
来年のNHKの大河ドラマで放映される
「才女・篤姫」とはどういう人物かというのに
興味をもち保管していた。

新聞記事の中で
今和泉地区の見どころを紹介する
「篤姫ボランティアガイド」のことも記載されていた。

見学は、30分・45分・60分・90分の4コース。

利用料は無料だが、資料代1部200円必要。

ガイドは8時~16時で
JR今和泉駅の案内所で待機しています。

一緒に今和泉の町歩き楽しみましょう。

問い合わせ先
指宿市観光協会
(篤姫ガイド専用ダイヤル)0993-22-3257

11月23日(金)

新聞を保管していて良かった~ (●^o^●)

篤姫ゆかりの地を訪れようと家を出る寸前(10時頃)、

90分コースのガイドをお願いしようと電話しました。

残念~(~_~;)

篤姫人気が高くて当日の予約は無理とのこと。

明日の予約が出来るか折り返し連絡します。

ラッキーヽ(^o^)丿

他の人と一緒になりますが、
明日10時半までに、JR今和泉駅構内にある
「篤姫観光ガイド」の総合案内所に集合してください。
と、連絡がありました。
(ボランティアガイドは30人位いらしゃるそうです。)


11月24日(土)

さぁ~、今日は楽しみだ~!
90分頑張って散策するぞ~(^^♪

Eki

今和泉駅に着いたらテレビ取材の方々が・・・!

やっぱり、篤姫人気ってすごいなぁ。

南日本放送の取材は
篤姫が生まれた今和泉島津家の
史跡が数多く残る今和泉を
ボランティアガイドが案内するのを放映するためとか。


ビックリ~。どうしましょう。ハプニングだ~\(◎o◎)/!

突然、ガイドと一緒に今和泉散策の出演依頼を
お願いされました。
「ごめんなさい」・・・・!「だめです~(>_<)」


ガイドさんを中心に映しますから。
なるべく見学の邪魔にならないようします。と、
お願いされ、しぶしぶ承諾することに・・・ (>_<)

どうしよう~(>_<)  どうしよう~(>_<)

まずはガイドさんに挨拶。お願いしますm(__)m

さぁ~!散策開始です。ヽ(^o^)丿

Tizu

ガイドさんは、ゆっくり歩きながら
面白く、分かり易いよう「篤姫」について説明
してくださいます。

まずは「篤姫ロード」へ
当時をしのばせる町割の街並み。

Miti

途中、巨大な冬瓜(とうがん)が!
観光客が珍しがって見るため、

持ち主が粋なはからいで
「いらしゃい篤姫ロードへ」と看板を立てたとか!

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今は建物は残ってないが、今和泉島津家の
別邸跡である今和泉小学校に到着ヽ(^o^)丿

Gakkou

屋敷跡には井戸と
篤姫が使ったといわれる手水鉢(市の指定文化財)が
残っています。

Kanban1

Hati

Ido

別邸の裏手にある海岸は、美しい風景が見渡せる
松林と砂浜が広がっていましたが
今は砂浜がなくなっているため、

昔の風情を残そうと、
砂浜を作る工事をしていました。

樹齢何年なのでしょうか立派な松林(隼人松原)は
そのままの姿で残っていましたよ。

Matu

小学校門。(観光地らしく作ってありました)

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門の横の石垣は、
今和泉島津家の石垣を保存していたのを
移築したのだそうです。

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カメラ・マイクを持った取材班が
一緒に歩いているので、行き通う人々が
芸能人の取材と勘違いして、立ち止まる人が・・・!
ごめんなさい。m(__)m ブスで・・・!(笑い) 

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豊玉媛神社へ!

途中、町割にある風情ある門柱が。
ここは、今和泉家の隠居された方のお屋敷跡とか。
門だけは壊さずに保存されていました。

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豊玉媛神社は、篤姫が江戸にお輿入れされる前に
お札を納めたといわれているそうです。

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Zinzya

神社の両脇に建っている仁王像は

島津家20代当主・綱貴を守るために
地元の造営人たちが

「主君を敬い、民を愛し、災害が起こらないように」

「長生きして、子孫に恵まれ、それぞれの願いが
叶うように」

という思いを込めて、仁王像を建てたと
伝えられているそうです。

でも、この仁王像は明治政府の
「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」により、
当時処分され、その後何十年も経って
近所の畑から出土して
最近ようやく神社の元の位置に戻ったということです。

可愛そうに、この仁王像は腕も切られていましたよ。

Zou1

Zou2

「廃仏毀釈」とは?

明治政府は、純粋な日本の道である神道を復古
させることで、新たな時代の創業精神を広めようとした。

具体的には、仏教的色彩が多い神社を純粋な神道に
戻すものとして、神社にあった仏像と梵鐘の撤去や
神社に居た僧侶の還俗が進められた。
と、資料にこのような事が書いてありました。

さぁ、最後の見所

今和泉島津家墓地へ!

歩いていると、さっきお話した仁王像が
出土したのは、ここの畑ですと説明が!

発見されたご主人に会えましたよ(^_^)v
ご夫婦でお仕事していらしゃいました。

Ozisan

あの柿木と柿木の間から出土したそうです。

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お墓に到着しました~ヽ(^o^)丿
すごっく立派なお墓です。

ここのお墓の雰囲気はまるで時間が
そのままストップしてたかのよう。


静寂で、ちょん髷姿のお侍さんがヒヨッコリ
出できてもおかしくないような感じです。

Haka2

Haka3

Syzai2

お墓の入口に、島津家の紋の入った鳥居が。

説明によると
お墓に鳥居があるのは珍しいそうです。

敵を欺くために、ここはお墓ではなく神社だと
思わせるためだったとか。

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今和泉家六代当主・忠冬のお墓

Haka1

「このお墓をよく見てください。
下には
島津家の紋。上には源の文字が
書いてあります。
島津家の初代は、源頼朝と側室の間に生まれた子で
お隣の県宮崎の都城に追いやられました。
島津家ではこのように言い伝えられています。」と、
説明がありました。
島津家ってすごいですね。(@_@)

ガイドさんが私たちに質問されました。

「ここのお墓を見て不思議に思った事ないですか?」

「え・え・っ!分かりませ~ん(^_^;)」

「お墓には女性の名前が一つもありません。
名前が書いてないお墓は女性のお墓ですが、
鹿児島は男尊女卑で名前を書かなかったんです。」

看板を見たら、
本当に名前のない墓石には女性の文字が!

Hakakanban

昔に生まれなくてよかった~(●^o^●)

お墓の横の筋道に塔が幾つか建っていますが
上の方に六人のお坊さんが彫ってあります。

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Tou2 

駅に帰ってきました。ヽ(^o^)丿

楽しく歴史を感じながら散策できたし、
知らない事もいっぱい教わりました。
ガイドさんが郷土を愛し、
ボランティアをしていらしゃる気持ちも、
ひしひしと伝わってきましたよ。(●^o^●)

自分で「篤姫ゆかりの地」を歩いても、
そこの雰囲気を味わうだけで終わってしまいますよね。
ガイドしてもらって良かったです~(^_^)v
有難うございました。m(__)m

また、予想外のことが~(>_<)

取材班の方から、
今日の感想を一言お願いします。と・・・・!

びっくりして、舞い上がってしまい
何を話したかさっぱり思い出しません。
どうしましょう。(^_^;)

楽しい歴史散策の90分でしたが、どのように
放映されるか、ドキドキ心配です。

取材班の方が、農家の方に
野菜を貰ったから出演料の代わりに。と、
笑いながらくださいました。(笑い)

Yasai

今日はビックリの一日でしたが
こういうハプニングは一生に二度とないこと。

テレビを見るまでは不安いっぱいですが、
いい思い出になったんだと
少しづつ思うようになりましたよ。
(●^o^●)

追伸

19年11月8日に
「天璋院 篤姫」のタイトルで
記事にしましたので併せて見てくださいね。m(__)m

20年1月14日に
鹿児島のドルフィンポートで開催された
「篤姫館」を記事にしましたので
見てくださいね。(●^o^●)

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2007年11月 8日 (木)

天璋院 篤姫

Midasi

11月6日
鹿児島総合卸商業団地協同組合の
組合創立40周年記念特別講演会

維新ふるさと館 館長 福田賢治先生を
講師にお招きして開催された。

講演会は大好評で395名の
参加者があったそうです。

演題は、
来年のNHK大河ドラマで放映予定されている

薩摩が生んだ幕末の才女、天璋院篤姫

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薩摩の歴史は全国的に有名で、
県外に行った時によく質問されるそうだが、
私をはじめ鹿児島県人は、動乱の幕末から
明治維新について知ってる人が少ないそうである。

幕末から明治維新にかけてタイムスリップ~!

今回勉強してきましたよ~(^_^)v

まず先生が薩摩の国の特色について
話されました。

特色として

(1)島津氏が鎌倉時代より700年間、
   薩摩の国を支配してきた。
     全国でこんなに長く支配している国は珍しい。

(2)武士の数が多かった。
    人口の26%(4人に1人)が武士で、税収が
    少なくなるため、郷士として武士でありながら
     平時は農民として農耕にも従事させた。
   武士が多かったこともあり、明治維新をなしえた
    のも頷けるとのこと。

(3)昔から徳川家の御三卿である一橋家と
     婚姻関係を結び、島津家からも徳川家へ
     正室として迎えられた。

   11代将軍「家斉」の正室・・・島津茂姫
   13代将軍「家定」の正室・・・島津篤姫
      8代将軍「吉宗」の娘「竹姫」・・養女として島津家へ
     11代将軍「家斉」の兄弟の子「英姫」・・斉彬の正室

(4)島津家と近衛家とは昔から親密であり、
     天皇を動かすために太いパイプを結んで
     いたこともあり、幕末に活躍できた。

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13代将軍「家定」の御台所・篤姫

篤姫は、1835年12月19日
今和泉家五代当主・忠剛(ただたけ)の
第四子として現在の鹿児島市に生まれ
幼少の頃は一子(かつこ)という名でした。

徳川家にも将軍家の血統が絶えた時に跡を
継ぐため徳川御三家がつくられたように
島津家にも「一門家」がもうけられていた。

もともと第四代当主島津忠宗の次男「忠氏」によって
北薩の出水に和泉家として始まったが、

島津二十二代当主「継豊」の時代に弟の
「忠郷」をもって今和泉と号し「一門家」に
加えました。

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第十三代将軍徳川家定は、
二人の妻を公家から迎えたが、身体が弱く
急死したことや、定家自身も病気がちだったことから

定家の母親・お美津の方が
将軍を支えられる、しっかりした丈夫な夫人を求め
島津斉彬に薩摩の国から候補を求めた。

一子は名を篤姫と改め、島津家第二十八代当主
島津斉彬の実子として幕府に届け、

近衛忠煕(このえ ただひろ)の養女となり
1856年12月18日に家定と結婚した。

しかし、一年後に家定が35歳で亡くなったが
いったん嫁にきたからにはと、鹿児島に帰ることなく

天璋院と号し、その後前将軍の妻として
大奥を仕切りました。

幕末の混乱期には、実家の島津家は
将軍の敵になりましたが
新政府に、徳川本家の存続を働きかけるなど
徳川の為に尽くしました。

最後の十五代将軍徳川慶喜は、
朝廷からの追討令を受け、
江戸無血開城することになったが、

これは篤姫の陰の立役者としての
活躍があったという。

新政府になって徳川家の存続は認められ、
慶喜も明治に入り朝廷から謹慎が解かれると
趣味に生き、公爵として大正時代まで
天寿を全うした。

篤姫は明治16年、49歳で亡くなりましたが
現在でも徳川家に大切にされているそうです。

寛永寺に将軍家定と篤姫が並んで葬られて
いますが、将軍と御台所が並んで葬られているのは
例がなく珍しいそうです。

徳川家の血統が絶えて跡継ぎがなくならないために
徳川御三家がありますが、

跡継ぎ問題として側室制度についても語られました。

★徳川家は十五代続き
    正室は公家・皇族から迎えられたが、
   正室から生まれたのは、三代将軍
    家光一人だけだった。

★皇族は現在まで125代続いているが
    正室から生まれたのは10人位。

★島津家は、
    正室から生まれたのは、
    二十八代当主島津斉彬一人だけ。
    斉彬は六人の男子をもうけたが、幼少の頃
    亡くなり、跡継ぎ二十九代当主は
    斉彬の兄弟・久光の子「忠義」が当主となった。

福田賢治先生の語りはユーモアを
交えながら分かりやすかったので
とっても勉強になりました。(●^o^●)

私も話を聞きながらメモを必死にとりましたよ。
      ( ..)φメモメモ

最初は2時間は長いかなぁ~!と、思っていたのも
つかの間、時間がアッ!という間に過ぎました。

福田先生に、もっともっと鹿児島の歴史を
教わりたい気持ちが湧いてきました。(^_^)v

次の機会を楽しみにしています。有難うございました。

この講演のおかげで、来年のNHK大河ドラマを
見るのが、今から楽しみになってきました。(^_-)-☆

この「篤姫」のドラマを見て、全国の方が
鹿児島に観光に来てくださったらいいですね。m(__)m

「篤姫ゆかりの地 指宿」

今和泉島津家墓地や
今和泉の郷社である豊玉
媛神社等
指宿市のあちらこちらに
江戸時代を偲ばせる場所があるということです。

福田先生に頂いた資料をコピーしましたので
是非訪れてくださいね。(●^o^●)

Hyousi

Ohaka

Zinnzya

Mati

Tizu

私も指宿の「篤姫ゆかりの地」に出かけたら
またブログにしたいと思っています。(^o^)丿

2008年1月7日・追伸

篤姫ゆかりの地に昨年の11月24日に
行って来ましたよ。(^o^)丿
まだまだ知らなかった事をボランティアの方に
いっぱい教わり楽しい散策でした。(●^o^●)

11月28日に
「篤姫ゆかりの地・指宿・今和泉を歩く」のタイトルで
記事にしましたので併せて見てくださいね。
よろしくお願いします。m(__)m

20年1月14日に
「篤姫館」のタイトルで記事にしましたので
見てくださいね。(●^o^●)

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